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東京地方裁判所 昭和63年(行ウ)13号 判決 1996年3月06日

主文

被告が中労委昭和六〇年(不再)第三三号事件につき昭和六二年一二月一六日付けでした命令のうち、原告の再審査申立てを棄却した部分を取り消す。

補助参加人の請求を棄却する。

訴訟費用及び参加によって生じた費用は、甲事件乙事件ともに、これを五分し、その一を被告の負担とし、その余を補助参加人の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  甲事件

(原告)

主文第一項と同旨

二  乙事件

(補助参加人)

被告が中労委昭和六〇年(不再)第三三号事件につき昭和六二年一二月一六日付けでした命令のうち、主文第一項を取り消す。

第二  事案の概要

原告の経営する社会保険鳴和総合病院(以下「鳴和病院」という。)等に勤務する職員で組織されている補助参加人は、石川県地方労働委員会(以下「石川地労委」という。)に対し、昭和五七年一月二五日と同年六月一四日、原告及び鳴和病院の、<1>補助参加人組合員に対しての組合脱退慫慂行為、<2>慣行となっていた組合費のチェック・オフの新規採用者等についての一方的不開始、<3>外国人医師についての非組合員協定締結拒否、<4>組合旗の撤去要求及びこれの撤去、<5>補助参加人組合員二名の就業時間中の組合活動目的の外出についての賃金カット等がいずれも不当労働行為であるとして、原告及び鳴和病院を相手方としての救済申立てをした(石川地労委昭和五七年(不)第一号、第三号事件)。

そこで、石川地労委は、昭和六〇年七月一二日付けをもって、右申立てのうち、<3><4>を除いていずれも不当労働行為の成立を認め、別紙三(但し、主文のみ掲記)のとおりの救済命令(以下「本件初審命令」という。)を発した。原告及び鳴和病院は被告に対し、本件初審命令を不服として、再審査の申立てをした(中労委昭和六〇年(不再)第三三号事件)ところ、被告は、昭和六二年一二月一六日付けで、別紙四(但し、主文のみ掲記)のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発し、該命令書は、昭和六三年二月五日に原告に、同月六日に補助参加人にそれぞれ交付された。

本件命令のうち、本件初審命令を維持した部分につき原告がその取消しを求めたのが本件甲事件であり、救済申立てを棄却した部分につき補助参加人がその取消しを求めたのが本件乙事件である。

一  争いのない事実(但し、証拠により容易に認められる事実を含む。)

1 当事者関係

(一) 原告

原告は、健康保険法二三条の規定に基づいて設置された健康保険病院及び健康保険診療所の経営について、同法施行令二条により社会保険庁長官から委任を受けている各都道府県知事と受託契約を締結し、右病院及び診療所(但し、病院は五〇病院、診療所は四診療所)の経営に当たっている社団法人である。

なお、原告の経営する医療施設としては、右のほかに、厚生年金保険法に基づいて社会保険庁長官から直接委託を受けている三つの病院がある。

ところで、鳴和病院は、もと日本電気冶金株式会社鳴和診療所であったのを、国(厚生省)によって買い上げられ、昭和二二年四月に社会保険鳴和病院として発足したが、財団法人社会保険協会(石川県支部)に経営委託された後、昭和三三年九月一日に原告に経営委託替えとなり、以後原告の経営する病院の一つとして現在に至っている。この原告に対する鳴和病院の経営の委託は、健康保険法施行令二条の規定により委任を受けている石川県知事と原告との間に締結された契約に基づいている。そして、鳴和病院は、昭和三八年五月に総合病院の承認を受け、現在の名称に変更し、昭和五七年三月一日時点で内科のほか一四の診療科目を有しており、再審査審問終結時の職員数は約二四四名である(但し、職員数に関しては争いがあり、弁論の全趣旨によるとこのとおり認められる。)。

なお、鳴和病院には付属施設として同敷地内に併設された社会保険鳴和看護専門学校(以下「看護学校」という。)があり、原告が昭和三七年四月一日に石川県知事から経営の委託を受けて現在に至っている。

(二) 補助参加人

補助参加人は、鳴和病院、同売店及び看護学校に勤務する職員で組織された労働組合であり、本件再審査審問終結時における組合員数は約二二〇名である(但し、組合員数に関しては争いがあり、《証拠略》によるとこのとおり認められる。)。

補助参加人の前身である社会保険鳴和総合病院労働組合(以下「組合」という。)は、昭和二五年七月一〇日に結成された(但し、この結成年月日については乙二六により認められる。)後、健康保険病院労働組合連合会(以下「健保労連」という。)に加盟したが、健保労連が本件再審査審問終結後の昭和六二年七月一〇日をもって健康保険病院労働組合(以下「健保労組」という。)に組織変更したことに伴い、これに先立つ同年六月二三日、臨時組合大会を開催し、同年七月一〇日をもって、健保労組の支部に組織変更をした。

なお、補助参加人とその前身である組合とが同一性を有することについては争いがないので、以下においては時期を問わずそのいずれをも補助参加人ということとする。

2 補助参加人の組織構成

再審査審問終結当時の補助参加人規約三条には、次のとおり規定されている。

三条 補助参加人は鳴和病院、同売店及び看護学校(以下、この三者を「鳴和病院等」という。)に勤務する者と補助参加人専従職員(以下、この二者を「職員」という。)で組織する。但し、次の者を除く。

<1> 病院長、副院長、事務長、総婦長、庶務課長、経理課長

<2> 非常勤嘱託の者

<3> 補助参加人と鳴和病院で協議して定めた者

<4> パートタイマーで、自分の意思で補助参加人に加入しない者

3 鳴和病院の組織構成等

(一) 原告と鳴和病院との関係等

石川県知事と原告との間には、鳴和病院の経営の委託について締結した昭和三五年四月一日付けの契約があり、これは、同契約二六条の自動延長条項により今日に至るまで効力を有している。

そして、右契約一条には、鳴和病院の経営を原告の会長(以下「会長」という。)に委託する旨定められており、また、同八条には、独立採算制の原則として鳴和病院の経営については「特別会計を設け、原則として、それぞれの病院の収入をもってその支出にあてるものとする。」と定められている。

なお、原告は各健康保険病院に対し、経営・運営上の指導・監査、職員の研修・教育等を行っており、またその事務の一部を委任している。

(二) 原告と鳴和病院病院長との関係

(1) 鳴和病院病院長(以下「鳴和病院長」という。)は、会長によって任命される。

(2) 原告は、鳴和病院長の任にある者をして医療法一〇条にいう病院管理者としてきた。したがって、鳴和病院長の任にある者は病院管理者としての地位において医療法一五条一項に規定される「医師、歯科医師、薬剤師その他の従業者」の監督及びその業務遂行に係る注意義務を有している。

(3) 原告がその経営する健康保険病院等の組織、事務分掌について定めている「健康保険病院組織規程」(昭和三五年七月一日施行、以下「組織規程」という。)の二条二項には、病院長は「院務を総理し、職員を指揮監督して病院の適正な運営を図らなければならない。」と規定されている。

(三) 職員の任免

(1) 組織規程一一条三項には「職員は、会長がこれを任免する。但し、病院長、副院長、事務長及び総看護婦長を除く職員の任免については、会長は、病院長にその権限を委任することができる。」と規定されており、また、同条五項には「三項の病院長の任免する職員のうち、別に定める職の職員を任免する場合には、病院長は、その都度会長の承認を受けなければならない。」と規定されている。

(2) 鳴和病院における職員の任免は、次のように行われている。

ア 病院長、副院長、事務長及び総看護婦長(以下、以上の役職者を「管理職員」という。)並びに看護学校の教務主任については、会長がこれを任免する。

イ 診療科の部長、公衆衛生科・リハビリテーション科の部長及び技師長、診療協助機関(薬剤、検査、放射線、理学診療、手術、医学資料室、S・M・I室等の各部室)の部長、室長及び技師長、副総看護婦長並びに事務局の次長及び課長(以下、以上の役職者を「基幹職員」という。)については、会長の承認を得て鳴和病院長がこれを任免する。但し、基幹職員中診療・公衆衛生・リハビリテーションの各科部長の任免については、本件係争時においては、承認を要せず、報告のみとされている。

ウ 管理職員及び基幹職員を除く他の職員「以下「一般職員」という。)については、医師、歯科医師も含めて鳴和病院長がこれを任免し、その都度会長に報告する。

(四) 基幹職員等の人事権等

(1) 鳴和病院の診療科、検査部、放射線部等の各部長は、求人、採用面接、配置、昇進等人事に関して意見を具申する権限を有している。

(2) 看護部の各婦長は、看護婦関係の求人、配置・配転、昇進等人事に関して意見を具申する権限を有している。

(3) 副総看護婦長は、総看護婦長を直接補佐する。また技師長は、検査部、放射線部、理学診療部の各部長の下で、部長を直接補佐し、技師関係の求人、採用、配置・配転、昇進等人事に関して意見を具申する権限を有している。

(4) 看護学校の教務主任(但し、昭和六一年三月一三日に「教務部長」と改称)は、看護学校の日常的運営につき事実上統轄し、看護学校の事務員の選任に当たり意見具申を行い、また、学生の中から卒業後鳴和病院の看護婦となる者を採用する場合、事務長、総看護婦長と共に面接を行っている。

なお、看護学校の専任教員については、選任権限は看護学校長(但し、鳴和病院長が兼務)にあるが、事実上教務部長の意思に従って決定されている(但し、この点は弁論の全趣旨により認められる。)。

(5) 鳴和病院の庶務係長、経理係長は、庶務課長、経理課長を直接補佐し、課長の指示により業務の企画立案をし、業務の機密に接することがある。

(五) 職員の昇給・昇格等

鳴和病院における職員の初任給、昇給及び昇格の決定は、次のように行われている。

(1) 管理職員の初任給、昇給及び昇格は、会長が決定する。

(2) 基幹職員の初任給及び昇格は会長の承認を得たうえで、また、同昇給は財団法人石川県社会保険協会長の承認を得たうえで鳴和病院長が決定する。

(3) 一般職員の初任給、昇給及び昇格は、鳴和病院長が決定し、会長に報告する。

(4) 右(2)及び(3)に係る鳴和病院長の決定は、原告の定めた「健康保険病院職員給与規程」(昭和三五年七月一日施行、以下「給与規程」という。)及び「健康保険病院職員の初任給・昇格・昇給等の基準」(昭和四一年四月一日施行)に基づいて行われている。

(六) 職員の勤務条件の決定等

(1) 勤務条件に係る諸規程の制定改廃

原告が健康保険病院等の業務運営の大綱について定めた「健康保険病院業務運営規程」(昭和三五年七月一日施行)の一三条には、健康保険病院に関する諸規程の制定について次のように規定されている。

一三条 会長は、健康保険病院が、その業務を円滑に運営するため必要な諸規程を制定し、又は健康保険病院において制定する諸規程の準則を制定する。

<2> 健康保険病院においては、前項後段に定める準則に従い諸規程を制定するほか、必要に応じ、諸規程を制定することができる。

<3> 病院長は、前項の規定により諸規程を制定したときは、会長に報告しなければならない。

鳴和病院の「就業規則」(昭和三五年五月三日施行)も、会長の定めた「就業規則準則(昭和三五年五月三日制定)に沿って制定されたものである。鳴和病院には、このほかに超過勤務手当の算定方法等について制定した給与規程内規(昭和三五年一〇月一日施行)がある。

(2) 団体交渉等

ア 団体交渉には、かつて原告と各病院の労働組合の上部団体である健保労連とが中央(東京)で行う中央交渉及び各病院と健保労連の単位組合とがそれぞれの地域で行う単組交渉とがあった。中央交渉における交渉事項は、「勤務条件の基本にかかわること全般」であり「主として実態としては給与体系にかかわる事項」が対象となるが、その具体例として、「週休二日制の制度化の問題」と「諸手当の改善の問題」などがあり、これらの事項については、原告に勤務する職員の勤務条件を画一的に管理していく必要があるために中央で行うこととなっていた。他方、単組交渉の具体例としては、「職場環境の改善」と「年二回の勤勉手当の上積み交渉」などがあり、特に後者については、給与規程にその病院の経営状態が良好な際は会長の承認を得て上積みできる旨定めており、これに基づき、各病院長は単位組合と団体交渉をすることとなっていた。

以上の関係は、健保労連が健保労組に組織変更した後も同様であって、中央交渉は原告と健保労組との間で行われ、単組交渉は支部交渉と名称を変え、各病院と支部との間で行われている。

イ 会長が各健康保険病院病院長にあてた通知「労働協約の締結にかかる事前協議について」(昭和三六年一月二五日通知)によると、「正規の労働協約の締結について組合から要求が行われる場合、病院長は、その権限に属する事項について労働協約の締結に応ずることは当然」としつつも、「病院長の権限に属する事項を内容とする労働協約の締結に当たっては、事前に、その協約案を添えて、本会に対して協議するものとすること。」となっている。

ウ 鳴和病院長と補助参加人との間には、昭和四八年四月二六日付けで締結された通勤手当に関する協定と同四九年一二月四日付けで締結された早出手当に関する協定とがある。前者は中央交渉で決められた通勤手当の支給限度額に三〇〇〇円の上積みをすること等を内容とするものであり、後者は給食現場等早朝出勤をすることとされた職員に対する手当を内容とするものである。右早出手当は、原告の制度上はないが、昭和五五年当時原告の医療施設中二六から二七施設において手当支給がなされていた。

4 不当労働行為関係

(一) 組合脱退慫慂行為等

(1) 補助参加人の組合規約三条、八条及び九条には次のように規定されていた(但し、同規約施行当時の昭和二五年七月一〇日から昭和三〇年ころまでの間)。

三条 この組合は鳴和病院に勤務する試用期間中のものを含めたすべての職員(但し、表現上は従業員)で組織する。但し左の者を除く。

<1> 病院長、副院長、事務長

<2> 鳴和病院で一定期間を限って雇い入れた者で勤続二箇月以内の者

<3> 鳴和病院と補助参加人とで協議して定めた者

八条 職員(但し、表現上は従業員)は鳴和病院に勤務すると同時に組合員となるものとする。

九条 組合員は左の各号の一に該当するに至った場合は脱退したものと見なされる。

<1> 退職

<2> 死亡

<3> 除名

<4> 三条但書各号の一に該当する様になった場合

(2) 鳴和病院長は補助参加人に対し、昭和三〇年一一月二日付け文書をもって、組合員の小森弘を医務部長に任命するので同人の組合脱退を承認するようにとの申入れをなした。

(3) 鳴和病院庶務課長酒井哲男(以下「酒井課長」という。)は、昭和三一年四月に鳴和病院の職員となったが、組合加入申込書を提出する等特別な手続を経ることなく補助参加人の組合員となった。

(4) 補助参加人は鳴和病院長に対し、昭和三二年二月一日付け文書をもって、労働協約を締結するため、労働協約案を提示するので検討を願う旨の申入れをしており、同協約案二条には、次のとおり記載されていた。

(ユニオン・ショップ)

二条 鳴和病院の職員(但し、表現上は従業員)は組合員でなければならない。但し、次の各号の一に該当するものは、この限りでない。

<1> 病院長、副院長、事務長

<2> 臨時試用期間中のもので二箇月以内の者

<3> 鳴和病院と補助参加人とで協議して決定した者

右申入れに対して、鳴和病院長は、同年二月一二日付けの文書をもって、目下検討中の病院案が成案を得次第協議をしたい旨の回答をした。

(5) 補助参加人は鳴和病院長に対し、昭和三三年七月八日付け文書をもって、労働協約案を提示し、労使関係の基本原則と緊要と認める問題とについて協約を締結することを申し入れた。同協約案の四条及び五条には、次のとおり記載されていた。

四条 鳴和病院に勤務する職員はすべて組合員でなければならない。但し、左の者を除く。

<1> 病院長、副院長、事務長、婦長

<2> 鳴和病院と補助参加人とで協議して定めた者

五条 鳴和病院は補助参加人から除名された者を解雇する。

(6) 鳴和病院長は補助参加人に対し、同月二一日付け文書をもって、現在は互いに意見のそごをきたしている諸懸案のあること、鳴和病院としても現状を分析して管理運営上改善を要するものは再検討したいこと、補助参加人においても医局員全員の組合脱退に関する問題も早急に解決を必要としていると思われることなどを理由として、労働協約締結のための団体交渉の延期を申し入れた。

(7) 鳴和病院長は補助参加人に対し、同年一〇月七日付け文書をもって、総務課長及び会計課長は労働組合法二条但書一号に該当すると見なされるので、両名の脱退につき考慮されたい旨の申入れをなした。

(8) 鳴和病院の事務員、看護婦、医師等のうちで、同年一一月ころ、補助参加人に加入していない者はおらず、また、昭和四六年当時の職員のうちで補助参加人に加入していない者はパート労働者のみであった。

(9) 鳴和病院の医師田中四郎(以下「田中医師」という。)は、昭和三七年二月二七日に鳴和病院の職員となったが、組合加入申込書を提出する等特別な手続きを経ることなく補助参加人組合員となった。

(10) 鳴和病院の診療放射線技師林木則夫(以下「林木」という。)は、昭和四四年四月一日に鳴和病院の職員となったが、組合加入申込書を提出する等特別な手続きを経ることなく補助参加人組合員となった。

(11) 鳴和病院長は補助参加人に対し、昭和四五年一〇月一九日付け文書をもって、保安要員及び非組合員について、保安協定、非組合員協定を締結したい旨の申入れをなした。

(12) 鳴和病院長は補助参加人に対し、昭和四六年一一月一六日付け文書をもって、荒瀬副総看護婦長を総看護婦長職務代行者として発令するので、同人を同月一七日付けをもって非組合員とされたい旨の通知をなした。

(13) 鳴和病院長は補助参加人に対し、昭和四七年一〇月一六日付け文書をもって、左の者を非組合員とする協定を締結したい旨の申入れをなした。

<1> 診療科の部長

<2> 公衆衛生科、リハビリテーション科の部長及び技師長

<3> 診療協助機関の部長、室長及び技師長

<4> 副総看護婦長

<5> 看護婦長

<6> 事務局の次長及び課長

(14) 鳴和病院は、昭和四八年四月一日、医師の職務手当として「副院長待遇」手当を新設した。

(15) 補助参加人の昭和五二年一一月一一日開催の昭和五二年度第一回臨時組合大会において、庶務課長の非組合員化及び一定の範囲の者の自由加入制を内容とする議案が提出されたが、このうち、庶務課長及び経理課長の非組合員化については可決されたものの、一定の範囲の者の自由加入制については保留とされた。

(16) 鳴和病院長と補助参加人執行委員長代行とは、昭和五三年八月三一日付けで、庶務課長及び経理課長を非組合員とする旨の協定を締結した。

(17) 鳴和病院においては、創立以来三〇余年にわたって鳴和病院長の地位にあった浅地忠が退職し、同人の退職に伴い、昭和五四年三月一〇日、それまで副院長の地位にあった織田邦夫が原告によって鳴和病院長に任命された。

(18) 鳴和病院に病院運営評議会(以下「運営評議会」という。)が、昭和五四年四月一日に設置された。運営評議会の規程一条、二条及び八条には、次のとおり規定されている。

(目的)

一条 運営評議会は鳴和病院の運営、管理全般について、建設的な意見の交換を行い鳴和病院の向上発展に寄与することを目的とする。

(構成)

二条 運営評議会の構成は次のとおりとする。

鳴和病院長、副院長、副院長待遇、事務長、総看護婦長、事務局次長

なお、必要に応じ担当責任者等の出席を求めることができる。

(機密の保持)

八条 この会議で得た鳴和病院の機密事項及び個人の機密は他に漏らしてはならない。

(19) 鳴和病院長は補助参加人に対し、昭和五五年三月一九日、同月二四日及び同年五月七日付け各文書をもって、常勤医師及び歯科医師を非組合員とすることの協定を締結したい旨の申入れをなした。

(20) 田中医師は、昭和五五年五月、補助参加人に脱退届を提出した。

(21) 鳴和病院事務長桑山茂は、昭和四六年四月一日以来その地位にあったが、昭和五五年一〇月一日に退職し、後任には、それまで高松市に所在する社会保険栗林病院の事務長の地位にあった重枝弘が任命された(以下、同人を「重枝事務長」という。)。

(22) 重枝事務長は補助参加人に対し、昭和五五年一一月ころの団体交渉において、鳴和病院にはユニオン・ショップ慣行は存在しない旨を述べ、また、オリエンテーションの場においても、職員に対し、補助参加人に入るか否かは自由である旨の説明をなした。

(23) 鳴和病院は、昭和五六年四月から昭和五八年三月三一日までの間、原告によって経営改善指定病院(いわゆる再建指定病院)に指定された。

右指定は経営の困難な病院に対して財政上あるいは運営上の指導を行うためであり、指定を受けた病院は、原告から資金の貸付けを受けるほか、文書や電話等の照会により運営上の指導を受けることができることとなる。この場合には、勤勉手当の上積支給については、原告内部の取決めによりできないものとされている。

なお、経営改善指定病院の指定は、原告の経営する各病院からの申請により原告内部の経営改善委員会が行うもので、指定についての具体的基準等は特に定められていない。鳴和病院における収支は、昭和五五年度において赤字となったが、経営改善指定病院となって原告から資金の貸付けを受けて累積債務の返済等を行ったため、昭和五六年、五七年度とも単年度の収支では黒字となった。

(24) 鳴和病院副院長鈴木博(以下「鈴木副院長」という。)は、昭和五六年四月二日、新規採用の医師折戸松男(以下「折戸医師」という。)、同バンバング・ソンディ(以下「ソンディ医師」という。)及び同喜多徹(以下「喜多医師」という。)の三名に対し、勤務時間や当直の説明をした際、組合加入は自由であり、現在ほとんどの医師は加入しているが、加入していない医師もいる旨の説明をなした。

なお、鈴木副院長は、昭和五四年と五五年の新規採用の医師に対するオリエンテーションの場においても同医師らに同様の説明をなした。

(25) ソンディ医師は鳴和病院の庶務課職員に対し、昭和五六年四月、留学生の身分であるから組合運動はできないので補助参加人には加入しない旨の申入れをなした。そこで、酒井課長は補助参加人の執行委員長に対し、右の旨を連絡したところ、補助参加人は、執行委員会で右未加入を了承した(但し、この点については争いがあるが、乙一六五の二によりこのとおり認められる。)。そして、補助参加人は鳴和病院に対し、同月中旬の団体交渉において、右のような特殊な事情であればソンディ医師について非組合員協定を締結したい旨の申入れをなしたが、鳴和病院は、外国人であるからということで他の医師等と区別していないという理由で右協定締結を拒否した。

(26) 折戸医師は酒井課長に対し、同月中旬頃、補助参加人に加入する意思がないので組合費を控除しないで欲しい旨の申出をなした。酒井課長からこの旨の連絡を受けた重枝事務長は、補助参加人の執行委員長に対し、折戸医師にその意思を確認したうえ、折戸医師から補助参加人に加入する意思がなく組合費を控除しないよう申し出があったので、折戸医師については組合費を控除しないこととする旨連絡した(但し、折戸医師の申し出の内容及び重枝事務長から執行委員長に対する連絡の内容については争いがあるが、《証拠略》によりこのとおり認められる。)。

なお、喜多医師は、同月、補助参加人に加入した。

(27) 鳴和病院の医師である牛村秀夫(以下「牛村医師」という。)ほか八名の医師は、同年五月下旬、補助参加人に脱退届を提出した。

(28) ソンディ医師(昭和五七年一〇月帰化し、日本名岩永昌敏となった。)は、昭和五八年四月一日、鳴和病院を退職した。

(29) 再審査審問終結時の補助参加人の組合規約七条及び八条には、次のとおり規定されている。

七条 鳴和病院等に勤務する者は鳴和病院等に勤務すると同時に組合員となり、職員は組合大会の任命承認決議と同時に組合員になるものとする。

八条 組合員は左の各号の一に該当するに至った場合は、脱退したものとみなされる。

<1> 退職

<2> 死亡

<3> 除名

<4> 三条但書に該当するようになった場合

(二) 組合費のチェック・オフの不開始

(1) 鳴和病院においては、遅くとも昭和三三年以降昭和五七年二月まで、組合費は毎月支払われる賃金からチェック・オフされてきた(但し、この点については争いがあるが、《証拠略》によると以上のとおり認められる。)。

なお、新たに鳴和病院に職員として採用された者は、遅くとも昭和三一年ころ以降昭和五七年二月までは補助参加人組合規約で定められている特定の者を除き採用と同時に加入申込書の提出等特別な手続きを経ることなく組合員となっており、同時に組合費は遅くとも昭和三四年ころ以降昭和五七年二月まで賃金からチェック・オフされてきた。

(2) 鳴和病院は、昭和五六年四月一日付けで採用された折戸医師については、労働契約締結時から組合費のチェック・オフを行っていない。

(3) 田中医師は重枝事務長に対し、昭和五六年四月一〇日ころ、昨年補助参加人を脱退したので組合費のチェック・オフを中止するようにとの申出をなし、重枝事務長は補助参加人の執行委員長に対し、田中医師の組合費のチェック・オフを同月分から中止する旨通知し、このとおり実施した。

(4) 鳴和病院は、昭和五六年六月、牛村医師ほか八名の医師から組合費のチェック・オフを中止するようにとの申出を受けたため、補助参加人の執行委員長に対して、牛村医師らから右の申出のあったこと及びこれを中止する旨を通知したうえ、これらの者の組合費のチェック・オフを中止した。

(5) 補助参加人は、昭和五七年一月二五日、鳴和病院が行った右(2)ないし(4)の組合費のチェック・オフの中止等の措置は合理的な理由がなく、組合費のチェック・オフを破棄しようとするのみならず、チェック・オフの中止等について、補助参加人と事前協議をすることなく一方的になしたもので不当労働行為であるとして、石川地労委に救済申立て(昭和五七年(不)一号)をなした(但し、石川地労委が本件初審命令において、これを棄却したことは前記のとおりである。)。

(6) 鳴和病院長は補助参加人に対し、昭和五七年四月一三日付け文書をもって、新規採用者一九名の組合費のチェック・オフについては、書面による補助参加人からの加入組合員の氏名連絡又は書面による本人からの申出がない限り行わない旨の通知をした。これに対し、補助参加人は鳴和病院長に対し、同月一四日付け文書をもって、右通知はこれまでのユニオン・ショップの慣行と組合費のチェック・オフの慣行とを否定したもので容認できないこと及び新規採用者の全員が組合員であることを回答した。

(7) 鳴和病院長は補助参加人に対し、昭和五七年四月一九日付け文書をもって、組合費等のチェック・オフについては従来から問題があり、補助参加人が石川地労委に対し不当労働行為として救済申立てをなし係争事件となったので、今後チェック・オフを行うためには、協定を締結したうえで行いたいと基本的に考えているが、現在石川地労委に係属中であるから、当分の間、既に鳴和病院の職員としてチェック・オフを行ってきたものについては、従来どおりの扱いとするが、同年以降の新規採用者については、補助参加人から組合員の氏名の通知を受け、かつ本人の文書による申出を得たうえでチェック・オフを行う旨の通知をした。これに対し、補助参加人は鳴和病院長に対し、同月二二日付け文書をもって、この件についての補助参加人の見解は同月一四日付け文書で回答しており、それにもかかわらず従来の慣行を廃止する内容の文書を再度通知してきたとして抗議をした。

(8) 鳴和病院は、右(7)について補助参加人の協力が得られず、また新規採用者本人ら各人からの組合費のチェック・オフの申出もなかったとして、昭和五七年三月以降採用の職員について組合費のチェック・オフを行っていない。

(9) 鳴和病院にあっては、組合費のチェック・オフと同様賃金からの控除がなされているのには、医局会費や看護婦会費があるが、昭和五七年三月の新規採用者の医局会費等については、医局会等の依頼により、昭和五八年度からは本人の届出をさせ賃金から控除することとしている。

(10) ソンディ医師は、昭和五七年一〇月ごろ日本に帰化したものの、鳴和病院は、その後もソンディ医師について組合費のチェック・オフをしていない。

(三) 組合旗の撤去

(1) 補助参加人は鳴和病院長に対し、昭和五七年三月二〇日、賃金引上げ等の要求書を提出し、同要求に係る団体交渉が同年四月一三日から開始された。なお、補助参加人は、石川地労委及び石川県に対し、同月九日、労働関係調整法三七条の規定による争議行為予告通知(以下「争議行為予告通知」という。)をなした。

(2) 補助参加人は、昭和五七年四月一四日、右団体交渉がなお継続していたが、鳴和病院に無断で四階建の本館屋上に組合旗一本を掲揚した。鳴和病院屋上に組合旗を掲揚することは、昭和五六年においても春闘時から夏の闘争に至るまでの間、継続して行われたことがあった。また、昭和五五年以前においても行われたことがあった。

(3) 鳴和病院は補助参加人に対し、昭和五七年四月一五日、原告と連絡協議のうえ、同月一四日付け「申し入れ書」を手交し、掲揚されている組合旗を直ちに撤去するよう求めた。同様の申入れは、その後も同月二二日付け「申し入れ書」により、病院施設無断利用及び患者の病状への影響を理由としてなされたが、補助参加人は、それぞれ同月一七日及び二六日に「抗議文」を手交し、これを拒否した。

組合旗の自主的撤去に関する鳴和病院の申入れは、昭和五三年、昭和五四年ごろ事務長から補助参加人の執行委員長に対し口頭で、また、昭和五六年には四月二五日及び六月四日付け各文書をもって行われている。

(4) 鳴和病院長は補助参加人に対し、昭和五七年四月二七日、「申し入れ書」を手交し、掲揚している組合旗を直ちに撤去することと撤去しない場合には鳴和病院において撤去することの申入れをなした。

(5) 重枝事務長ら三人は、同月二八日午前一一時ごろ、組合旗を撤去して保管した。鳴和病院が病院施設に掲揚されている組合旗を自力で撤去するようなことは、これ以前にはなかった。

(6) 重枝事務長は補助参加人の書記長の地位にあった林木に対し、右同日の昼食休憩時間中に、組合旗の撤去及び保管について記した「申し入れ書」を手交したところ、林木は、大声で抗議するとともに組合旗を返還するよう要求した。これに対して重枝事務長は、右「申し入れ書」に記載した鳴和病院の考え方を説明したが、近接する待合室の患者らにも聞こえたため、鳴和病院の玄関のうえの二階にある事務長室で話をする旨告げて同室に向かった。重枝事務長と林木とは、事務長室において、四ないし五分にわたってやりとりをしたが、話は平行線をたどった。その後、林木は、同室を離れ、間もなく一〇数名の組合員らとともに事務長室前に集まり、このうちの二名の者と事務長室に入り、携帯マイクを使用して、「重枝事務長は泥棒だ、鳴和病院は泥棒だ。」等と叫び一〇分間余りにわたって抗議した。重枝事務長は、これに対して反論するとともに制止したが、休憩時間の終了近くに至り、林木らに向かって、今後無断で病院施設内に組合旗を掲揚することのないよう口頭で注意を与えたうえで、その場で組合旗を返還した。

(7) 補助参加人は、同月三〇日、再度同じ場所に無断で組合旗を掲揚した。鳴和病院長は補助参加人に対し、同日付け文書をもって右組合旗を撤去するよう申し入れるとともに、同年五月一日、病院職員に対し、先の組合旗撤去に至る経緯・理由を説明するために「職員の皆様へ」と題する文書を配布した。しかし、鳴和病院による組合旗の撤去はなされず、同組合旗は同年春の賃金引上げ交渉が終了する同年六月二日まで掲揚され続けていた。

(8) 昭和五八年においても、同じころになると補助参加人は無断で同じ場所に組合旗を掲揚したが、鳴和病院は、補助参加人による自主的な撤去を文書で申し入れるにとどめ自ら撤去するようなことはしなかった。

(四) 就業時間中の組合活動目的の外出の取扱い

(1) 鳴和病院においては、昭和五七年三月以前、職員が就業時間中に外出する場合には、所属長に遅刻早退外出願(以下「外出願」という。)の事由欄等に所定事項を記入のうえ提出して許可を受けることとなっていた。

(2) 林木及び鳴和病院の保健婦で補助参加人の執行委員の地位にあった高山清美(以下「高山」という。)は、昭和五七年三月九日、それぞれ鳴和病院に対し、石川地労委出席のためとの理由で勤務時間中の外出願を提出した。これに対して、重枝事務長は、補助参加人の執行委員長を呼び、口頭で、労働委員会の出席に関する原告の統一指導方針に従い、申立人一人についてのみ有給外出扱いとする旨を伝えた。林木は、この措置に抗議したが(但し、この抗議内容については、《証拠略》によれば、有給外出を一人に限定する合理的理由を示すべきである、労使慣行では認められてきたのを一方的にやめるのはおかしいではないか等であったことが認められる。)、話合いはつかなかった。同日、林木及び高山は、石川地労委の本件調査に補佐人として出席した。

(3) 鳴和病院長は補助参加人の執行委員長に対し、同月一五日、労働委員会への出席について申立人当事者一名に限って有給外出として取り扱うが、その他の者については有給外出とは認めない旨を文書で通知した。

(4) 鳴和病院は、同月二〇日、林木については賃金カットしなかったが、高山については同日支給の賃金について、同月九日の石川地労委出席のための外出時間(約一時間三〇分)相当分を支払わなかった。

(5) 林木は鳴和病院に対し、同年四月九日、争議行為予告通知を行うとの理由で就業時間中の外出願を提出した。鳴和病院の岩田建治事務局次長は、林木を呼び、外出(但し、《証拠略》によれば、有給外出の趣旨であることが認められる。)は認められないと言って外出願を返そうとしたが、林木は受け取らず、同日、右の理由で外出した。

(6) 鳴和病院は林木に対し、同月二一日、同日支給の賃金について、同月九日争議行為予告通知のための外出時間(約一時間)相当分を支払わなかった。

(7) 林木及び高山はそれぞれ鳴和病院に対し、同年五月七日、石川地労委出席のためとの理由で勤務時間中の外出願を提出し、両人は、同日、その調査に補佐人として出席した。

(8) 鳴和病院は、同月二一日、林木については賃金カットしなかったが、高山については、同日支給の賃金について、同月七日石川地労委出席のための外出時間(約一時間三〇分)相当分を支払わなかった。

二  争点

本件の争点は、<1>原告及び鳴和病院の補助参加人組合員に対しての組合脱退慫慂行為の有無並びに原告及び鳴和病院の<2>ソンディ医師についての非組合員協定締結拒否、<3>組合費のチェック・オフの新規採用者等についての一方的不開始、<4>組合旗の撤去要求及びこれの撤去及び<5>補助参加人組合員二名の就業時間中の組合活動目的の外出についての賃金カットが不当労働行為となるか否かにある。

三  当事者の主張

争点に関する当事者の主張は別紙一及び二記載のとおりである。

第三  争点に対する判断

一  争点一(組合脱退慫慂行為の有無)について(乙事件関係)

1 運営評議会及び医局会における医師に対する組合脱退慫慂行為の有無について

先ず、補助参加人は、原告及び鳴和病院は、副院長待遇が設けられていることを奇貨として副院長待遇の医師を構成員とする必要性のなかった運営評議会を設置して医師組合員に対する組合脱退慫慂の土台作りをしたうえで、副院長待遇の医師に対し、運営評議会において、副院長待遇の医師の立場と組合員の立場とは矛盾するとの発言を繰り返して組合脱退を慫慂した旨主張する。

鳴和病院は、昭和四八年四月一日に医師の職務手当として副院長待遇手当を新設したこと、昭和五四年四月一日に鳴和病院に運営評議会が設置されたことは前記争いのない事実に掲記のとおりであり、また、運営評議会の設置目的とこの構成員についても前記争いのない事実に掲記のとおりである。

そこで、運営評議会の果たしている機能についてみるに、《証拠略》によると、鳴和病院が運営評議会を設置したのは、従前から設置されていた部課長会議はこの構成員が多いことから協議決定機関としての機動性に欠けるようになったので、これを補完するための機関の設置を必要とするようになったからであり、その開催は原則として毎月一回第三月曜日になされていたのであり、この会議においては、管理会議の決定事項を伝達するとともに、鳴和病院の運営・管理に関する事項について提案し、協議のうえ決定を行う外、鳴和病院の運営・管理上の意見具申を行うことにあったことを認めることができる。

以上の事実によると、原告が運営評議会を設置したこと及びこの果している機能にはその必要性と合理性とがあるものということができるし、また、運営評議会の構成員が補助参加人に加入していてはならないということもなかったのである。そして、運営評議会が補助参加人の主張するように医師組合員に対する組合脱退慫慂行為の土台作りのために設置されたとか、また、このような役割ないし機能を営んでいたということを認めるに足りる証拠もない。

したがって、この点に関する補助参加人の主張は理由がない。

次に、補助参加人は、原告及び鳴和病院は常勤医師及び歯科医師に対し、主として医局会議の場を利用して、医局員の立場と組合員の立場とは矛盾するとの発言を繰り返して組合脱退を慫慂した旨主張する。

《証拠略》によると、鳴和病院に勤務していた医師及び薬剤師は、昭和五六年当時、研修を主目的とした任意団体としての医局会と称する会合を一か月に約一回の割合で開催しており、補助参加人の主張する医局会議なるものは証拠上認められないので、右の医局会を指すものと考えられるが、何回か開催された右会合のうちでこの終了後、医師組合員と田中医師とが残り、組合脱退問題について意見交換をしたことがあったこと、この席上、医師の数名の者から補助参加人に加入していることのデメリットが多くメリットが少ないなどの意見が述べられ、たまたま医師の一人から意見を求められた田中医師は、組合に加入するか否かは個人の自由であり、組合を脱退するか否かも自由である旨の見解を述べたことがあったが、右の席上意思統一のなされたようなことはなかったことを認めることができる。

以上のことが認められ、本件全証拠によるも補助参加人が主張するような原告及び鳴和病院が医師及び歯科医師に対し、医局会議の場を利用して組合脱退を慫慂したことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する補助参加人の主張も理由がない。

2 重枝事務長の職員に対する団体交渉及びオリエンテーションにおけるユニオン・ショップ慣行不存在発言について

補助参加人は、重枝事務長の団体交渉におけるユニオン・ショップ慣行不存在発言や職員に対するオリエンテーションにおける組合加入自由発言は組合脱退・不加入の慫慂を意図してなされた旨主張する。

《証拠略》によると、次の事実を認めることができる。

重枝事務長の団体交渉におけるユニオン・ショップ慣行は存在しない旨の発言は、重枝事務長が鳴和病院の事務長として着任して間もない昭和五五年一一月ころに行われた鳴和病院と補助参加人との重枝事務長が出席した最初の団体交渉の席上において、補助参加人がユニオン・ショップの慣行の存在を主張したのに対してなされたのであった。

重枝事務長がこのような発言をしたのは、鳴和病院の事務長に就任してユニオン・ショップ協定が存在するか否かを引継書類のうえで調査してもこのような協定の締結されたことの書類がなかったことと、鳴和病院と補助参加人との関係についてはこれまで不明瞭なところがあったと考え、存在する労働協約は尊重するが、これがない場合には従来の不明瞭な取扱いを改めるとの方針の下に臨んでいたがためであった。

また、重枝事務長は、医師以外の新規採用職員に対するオリエンテーションにおいて、原告と鳴和病院との組織及び施設の説明、勤務時間、賃金及び諸手当、賃金からの控除費目等の説明をした際、右と同様の説明をしたが、このことも右のような理由によるものであった。

ところで、鳴和病院の職員で補助参加人に加入していない者は、昭和三三年一一月ころはいなかったし、昭和四六年にはパート労働者のみであって、田中医師や林木は、鳴和病院の職員となることによって特別の手続を経ることなく補助参加人に加入していたことは前記争いのない事実に掲記したとおりである。

そこで、右認定事実に右の点を総合考慮すると、鳴和病院と補助参加人との間にはユニオン・ショップ協定は締結されてはいなかったものの、鳴和病院等の職員となると当然に補助参加人に加入したこととなるという意味でのユニオン・ショップ協定が存在したのと同様の取扱いがなされていたかのようである。

しかし、前記争いのない事実として掲記したところによると、補助参加人が鳴和病院長に対し、昭和三二年二月一日付け文書をもって、病院長等一定の範囲の者を除く鳴和病院の職員は組合員でなければならないという趣意のユニオン・ショップ条項を含む労働協約の締結を申入れたものの、鳴和病院長は、検討中の病院案の成案を得次第協議したい旨の回答をし、さらに、補助参加人が鳴和病院長に対し、昭和三三年七月八日付け文書をもって右と同趣旨のユニオン・ショップ条項を含む労働協約の締結を申入れたが、鳴和病院長は、現在お互いに意見の齟齬をきたしている諸懸案のあること等を理由に交渉の延期を申入れていたというのであり、そうすると、鳴和病院と補助参加人との間にはユニオン・ショップ条項を含む労働協約の締結それ自体についての認識ないし意見の不一致が存したということができるから、鳴和病院と補助参加人との間に補助参加人の主張するようなユニオン・ショップの慣行が成立していたと認めることは困難である。

そうすると、重枝事務長の右発言はユニオン・ショップに関してはありのままの状況認識を述べたまでにすぎないということができ、他に、本件全証拠によるも重枝事務長の右発言が補助参加人の主張するような意図の下になされたことを認めるに足りる証拠もない。

したがって、この点に関する補助参加人の主張も理由がない。

3 鈴木副院長の新規採用医師に対する組合不加入の慫慂行為の有無について

補助参加人は、鈴木副院長は新規採用の折戸医師外三名の医師等に組合不加入の慫慂行為をした旨主張する。

《証拠略》によると、次の事実を認めることができる。

鳴和病院にあっては、医師である医務局長が新規採用の医師に対し、約一〇ないし一五分間にわたり医局オリエンテーションと称した始業・就業時間、宿日直勤務、職務内容、医局会等の各種委員会等勤務上必要事項全般に亘る説明会を開催しており、本件で争点となっている昭和五六年四月当時副院長兼医務局長の立場にあった鈴木副院長は、同月二日、新規採用の折戸医師、ソンディ医師及び喜多医師の三名に対し、約一〇ないし一五分間にわたり、右の事項についての説明をし、この際に、賃金からの控除費目として医局会費、組合費等があること、鳴和病院の職員によって組織されている補助参加人が存し、これに加入すれば組合費が控除されることとなるが、補助参加人に加入するか否かは各人の自由であることの説明をなした。

鈴木副院長が折戸医師らに右のような補助参加人に関することを説明したのは、これまで補助参加人に加入するためには格別の手続を要せずに鳴和病院に採用された職員となるとともに、当人が意識するとしないにかかわらず当然に補助参加人に加入したものとして扱われ、組合費のチェック・オフをされてきており、鈴木副院長も同様であったことから、今後このような曖昧な取扱いを改めたいとの意図によるものであった。

以上のことが認められ、鈴木副院長が新規採用の折戸医師らに補助参加人への加入問題について言及したのは、これまで補助参加人への加入に関しては曖昧な取扱いがなされていたことからこのような曖昧な取扱いを改めたいとの意図によるものであったとはいうものの、鈴木副院長が右のような組合加入問題に言及した時期は、《証拠略》によると、補助参加人の組合員のうちでの医師組合員は、昭和五〇年ころから補助参加人の組合活動、とりわけストライキ行動に関しては患者に対する診療責任者としての立場上同調できず批判的となり、後記認定のとおり昭和五六年ころから医師組合員の脱退者が相次ぐようになったという状況下においてなされたことを認めることができる。このことに、前記争いのない事実を総合考慮すると、鈴木副院長の右発言は、鳴和病院と補助参加人との従来の信頼関係が大きく揺らぎかけていたことから、副院長としての立場上、明文化された根拠もなしに、職員として採用されたということによって当人の意識すると否とにかかわらず自動的に組合員となるという従来の取扱いをこのまま放置しておくことはできず、明確化しなければならない時期になされたということができるから、不必要ないし不相当なことであったということはできない。そして、このこと以外に、本件全証拠によるも鈴木副院長が新規採用医師に対し組合脱退慫慂行為をしたことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する補助参加人の主張も理由がない。

4 鳴和病院の牛村医師外八名の医師に対する組合脱退慫慂行為の有無について

補助参加人は、牛村医師八名の医師の組合脱退は原告の関与によってなされた旨を主張する。

牛村医師外八名の医師が補助参加人に脱退届を提出したことは前記争いのない事実に掲記のとおりであるが、本件全証拠によるも、牛村医師外八名の医師の組合脱退が原告の関与によることを認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する補助参加人の主張も理由がない。

以上のとおりであるから、組合脱退慫慂行為の有無についての補助参加人の主張はいずれも理由がなく、本件命令のうち、以上の点に関し労働組合法七条に該当しないと判断した部分はいずれも正当である。

二  争点二(ソンディ医師の非組合員協定締結拒否)について(乙事件関係)

補助参加人は、鳴和病院が補助参加人の申入れたソンディ医師の非組合員協定の締結を拒否したのは医師全員を補助参加人から切り離すためであった旨主張する。

前記争いのない事実に掲記した事実に《証拠略》を総合すると、ソンディ医師は、昭和五六年四月、鳴和病院に医師として採用されたが、そのころ、鳴和病院に対し、留学生(インドネシア国籍)の身分であり、政治活動、組合活動はできないので補助参加人には加入しない旨及び組合費のチェック・オフをしないように申入れたので、鳴和病院は補助参加人に対し、その旨伝え、ソンディ医師の組合費のチェック・オフを開始しなかったところ、補助参加人は鳴和病院に対し、ソンディ医師の非組合員協定締結を求めてきたが、これに対し、鳴和病院は、ソンディ医師が外国人であるという国籍の違いによって他の医師らと区別して取扱うことはできないとして右協定の締結を拒否したことを認めることができる。

しかし、鳴和病院と補助参加人との間にはユニオン・ショップ協定が締結されておらず、また、この慣行もなかったことは前述したとおりであり、また、鳴和病院がソンディ医師について非組合員協定を締結しなければならない義務のあることを認めるに足りる証拠もないのであるから、当裁判所も本件争点に関しては被告と同様の判断に立つものである。

したがって、この点に関する補助参加人の主張は理由がない。

三  争点三(チェック・オフの不開始)について(甲事件関係)

原告は、本件命令のうち、新規採用職員にチェック・オフを命じた部分は労働基準法に違反した違法な命令であるばかりか、不当労働行為とならないのに救済命令を発した点でも違法である旨主張する。

ところで、従業員の賃金から組合費を控除するいわゆるチェック・オフは、労働基準法二四条一項但書の「控除」に該当すると解されるから、これを適法に行うためには、当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合等が使用者との間で賃金の一部を控除して支払うことに合意し、かつこれを書面により協定するという同項但書の定める要件を具備する必要があると解される。そして、使用者がチェック・オフをする権限を取得し、組合員がチェック・オフを受忍すべき義務を負うに至るには、右に述べた協定の外に使用者が個々の組合員から、賃金から控除した組合費相当分を労働組合に支払うことにつき委任を受けることが必要であって、右委任が存在しないときには使用者は当該組合員の賃金からチェック・オフをすることができないと解すべきである。

これを本件について検討するに、前記争いのない事実に掲記したとおり、原告又は鳴和病院と補助参加人との間には組合費のチェック・オフに関する協定は締結されてはいなかったものの、鳴和病院は、遅くとも昭和三三年ころ以降(但し、この点は《証拠略》により認められる。)職員から補助参加人のために組合費のチェック・オフを格別問題なく実施してきていたというのである。ところが、前記争いのない事実に掲記のとおり、鳴和病院は補助参加人に対し、昭和五七年四月一九日付け文書をもって、同年以降の新規採用者については、補助参加人から組合員の氏名通知を受け、かつ本人の文書による申出を得たうえでチェック・オフを行う旨の通知をしたのであるが、原告がこのような通知をしたのは、前記争いのない事実及び《証拠略》によると、鳴和病院は、昭和五六年ころから補助参加人組合員のうちで、医師の多くが脱退をし原告に組合費のチェック・オフを中止するようにとの申出がなされたり、新規採用の折戸医師からも組合費のチェック・オフをしないようにとの申出を受けていたという状況下にあって、これまでの組合費のチェック・オフについての取扱いが不明確であるのでこれを明確化しなければならないと考えたことと、そもそも組合費のチェック・オフをするについては、組合員資格と本人の意思確認の必要があると考えたがためであったことを認めることができる。ところが、原告は、新規採用者からの書面による申出がなかったためこれらの者についてのチェック・オフをしないこととしたというのである。

そうすると、右新規採用者らは原告に対して自らの意思で組合費のチェック・オフに関する委任をしなかったのであるから、原告としては、新規採用者について組合費のチェック・オフをすることが困難な状況に立たされたといえるのであって、従前からの職員については従前の取扱いを変更したのではなく、新規採用者についてのみ組合費のチェック・オフをしないこととしたことには何ら不当労働行為と目すべきところはなかったといえる。

補助参加人は、補助参加人には全員加入の慣行があり、鳴和病院との間で組合員資格の有無について疑義が生ずる余地はなかったのであるから、チェック・オフをするに当たって何ら障害はなかった旨主張する。

しかしながら、補助参加人の主張するような全員加入の慣行の存在しなかったことについては前記認定のとおりであるし、前記争いのない事実及び右認定事実によれば、本件紛争の前年においては牛村医師ら九名の医師のように補助参加人を脱退する者や折戸医師のように採用当初から補助参加人に加入しない旨の意思を表明していた者が相次いでおり、それらの者はいずれもチェック・オフをしないよう鳴和病院に申し入れていたにもかかわらず、補助参加人からはこれらの者についてチェック・オフをするよう申入れがなされていたというのであるから、鳴和病院としては本人の意思の確認の重要性を痛感していたと推認できる。

また、補助参加人は、チェック・オフを中止するに当たっても事前に補助参加人と協議することも意見を聞くこともしておらず、本件チェック・オフの中止は、補助参加人が第一次救済申立てをしたことに対する報復としてなされたことが明らかであるから、これを不当労働行為と評価すべきである旨主張する。

なるほど、前記争いのない事実に掲記したところによると、原告は、本件チェック・オフをしないこととすることにつき補助参加人と事前に協議もしていないばかりか、補助参加人から意見をも聞くこともしておらず、また、協定案を提示することもしていない。

原告が新規採用者についてチェック・オフの不開始の措置に出ることにつき補助参加人と事前に協議をするとか、意見聴取をするということは、原告がチェック・オフ協定が存しなかったにもかかわらず、昭和三三年ころからチェック・オフをしてきたという経緯からみて好ましい措置であるということができ、被告が、原告がこのような措置にでなかったことにつき「穏当を欠くもの」とした被告の判断には首肯し得るところがある。しかし、原告がこのような措置に出るか否かは原告の補助参加人に対する、いわゆる労務対策としての自由裁量の範囲に属する事柄であるというべきである。なるほど、原告がこのような措置に出なかった時期が就業時間中の組合活動目的の外出の取扱いについての紛争が発生していた時期であったということは無視できないところであるが、他方、原告についても、当時新規採用者についてチェック・オフをすることが困難な状況にあったというのであり、原告が従前からのチェック・オフについての取扱いを全面的に中止しようとしたのではなく、新規採用者についてのみ意思確認等の手続きを補助参加人に求めたというにすぎないし、補助参加人もこのことに協力をすることにつき格別困難な事情にあったとも認められないのであるから、補助参加人にも、被告が認定・判断しているとおり「補助参加人の態度にも組合脱退者の鳴和病院への通告等について弾力性を欠く対応が認められるなど責められても無理からぬ面」があることは否定できない。

以上の諸点を考慮すると、原告が補助参加人に右のような協議等をしなかった措置をもって直ちに原告に不当労働行為意思があったと断ずることは相当でない。

以上のとおりであるから、本件命令のうち、昭和五七年三月以降の新規採用者に対してチェック・オフをしないこととした原告の措置が労働組合法七条に該当する不当労働行為であると判断して原告に従前の取扱いによる組合費のチェック・オフを命じた部分は違法である。

四  争点四(組合旗の撤去)について(乙事件関係)

補助参加人は、鳴和病院の本件組合旗の撤去行為は、労使間で長く一定していて変化のなかった状況を原告が実力で破壊したという不当労働行為であった旨主張する。

《証拠略》によると、補助参加人は、昭和四六年ころから春闘時に組合旗を鳴和病院本館屋上に掲揚してきており、このことは慣例となっていたというのである。

しかしながら、《証拠略》によると、補助参加人は、組合旗を昭和五〇年代になってから春闘時に掲揚するようになったのであるが、これも毎年のことではなく、これに対し、鳴和病院は、昭和五〇年には文書で、昭和五三年、五四年にはそれぞれ口頭で、昭和五六年にも文書で組合旗の撤去を申入れてきたことを認めることができるから、林木則夫の右証言はにわかには信用することができない。

そうすると、鳴和病院は、補助参加人の病院屋上に組合旗掲揚を認めていなかったということができるから、補助参加人の組合旗の掲揚が慣例となっていたとか、鳴和病院が補助参加に組合旗の掲揚を容認していたなどということもできない。

ところで、《証拠略》によると、本件組合旗は、縦約数十センチメートル、横約一メートルで、掲揚場所も正面玄関のほぼ真上に当たる屋上であり、歩道から鳴和病院構内に入る地点からも、また、道路を隔てた向かい側からも見通せる非常に目につきやすい位置に掲揚されたことを認めることができる。

ところで、使用者は、施設管理権を有しているのであるから、施設の使用を制限することは、これが施設管理権の濫用と認められる特段の事情がない限り適法であって、施設の使用を制限するに必要な使用者の措置は原則として支配介入とはならないと解すべきである。

前記争いのない事実に掲記したところによると、補助参加人は、鳴和病院との間で賃金引上げ等に係る団体交渉が行われていた昭和五七年四月一四日、四階建の鳴和病院本館屋上に無断で組合旗一本を掲揚したため、翌一五日、鳴和病院が補助参加人に対し、掲揚されている組合旗を撤去するよう文書をもって申し入れたが、補助参加人はこれに応ぜず、同月二七日、重ねて組合旗を撤去するよう申し入れるとともに撤去されない場合には鳴和病院において撤去する旨通告したうえで、翌二八日に、これが撤去されていなかったため、これを撤去したというのである。このことに右認定事実を総合考慮すると、組合旗の掲揚されたのが来院者にも目につき易い場所であり、鳴和病院は、本件以前において自ら撤去に及んだことはなかったとはいうものの、掲揚される都度補助参加人に対して撤去を申し入れており、掲揚することを容認する態度を示したことはなく、本件撤去に際しても三度にわたって撤去するよう求め、三度目の申入れには撤去されない場合には鳴和病院において撤去する旨警告しており、当時の労使の状況を見ても団体交渉が継続中であったというのであり、補助参加人において殊更組合旗を掲揚する必要性は乏しかったと認められるのに対し、鳴和病院においては組合旗を撤去させる必要性が大きかったと認めることができるのであって、施設使用を許可しないことが施設管理権の濫用と認められる特段の事情があるとは到底認めることができない。

したがって、本件命令のうち、本件組合旗の撤去申入れ及び撤去をもって労働組合法七条三号に該当しないとした部分は相当であり、この点に関する補助参加人の主張は理由がない。

五  争点五(就業時間中の組合活動目的の外出の取扱い)について(甲事件関係)

職員が就業時間中に外出する場合には、前記争いのない事実に掲記のとおり所属長に外出願を提出して許可を受けることとなっていたことは就業規則二六条一項「職員は、病気、その他やむを得ない事由により遅刻するとき、勤務時間中に一時職場を離れるとき、外出するとき又は早退するときは、あらかじめ所定の書式に事由及び時間等を記入し病院長に届け出てその許可を受けなければならない。但し、やむを得ない事由のため、あらかじめ許可を受けることができなかったときは、その旨をすみやかに病院長に届け出なければならない。」の定めるところ(但し、職務上の理由による遅刻、早退、外出等については同規則二五条の定めるところであり、この場合にあっては病院長の承認を得なければならないとする。)であり、職員の勤務時間中の組合活動の禁止については就業規則六条一二号「職員は、組合の正規の交渉委員として団体交渉を行う場合を除き、勤務時間中組合活動をしてはならない。」の定めるところである。そして、職員の欠務についての賃金減額については給与規程三三条二項「職員が、その勤務すべき日において正規の勤務時間の一部を勤務しないときは、その勤務しないことにつき特に病院長の承認があった場合を除くほか、その勤務しない一時間につき、俸給月額に俸給の特別調整金の月額を加算した額とこれに対する調整手当の月額との合計額に一二を乗じ、その額を二一八八で除した額を減額して基本給を支給する。」の定めるところである。

以上によると、本件争点の鳴和病院の林木及び高山に対してなした労働委員会の出席についての原告の統一指導方針に従った伝達及び労働委員会には申立人一名についてのみ有給外出とするとした措置、勤務時間中の外出に対しての賃金不支給措置は、就業規則及び給与規程に依拠してなしたことであるから、就業規則及び給与規程どおりの適用をなしたという限りにおいては何ら問題はないといえる。

そこで、本件争点との関連で、鳴和病院の職員の外出についての取扱いについてみることとするに、《証拠略》によると、次のとおりであることを認めることができる。

鳴和病院にあっては、職員の外出についての就業規則上の定めが右のとおりであったものの、実際の運用上では二時間以内の私用外出については外出願に対してほぼ例外なく許可を与えて有給とし、外出時間が二時間を超えるような場合には半日休暇を取得するように指導をしていた。ところが、本件のように職員の労働委員会の調査のための出席についてはこれまで取扱ったことのない初めての事例であった。しかし、原告には、職員が勤務時間中に労働委員会、裁判等に出頭することについては内規で統一的指導方針が定められていたのであり、これによると、申立人一人につき一人のみ有給外出扱いとするとされており、このことは右就業規則の定めを有利に適用しようとするものであった。このようなことから、重枝事務長は、前記のとおり執行委員長に対しそのことを伝えたのであり、高山に対する本件賃金カットも右の内規に従ってなされたまでのことであった。

また、争議行為予告通知については、補助参加人では従来から昼食休憩時間(平日の昼食休憩時間は午後一二時三〇分から午後一時一五分までの四五分間)中にか又は勤務終了後になしており、補助参加人から鳴和病院に対し、予め外出願を提出して右通知をなすという事例はなかった。また、鳴和病院にあっても、補助参加人のなす右通知は職員の私用外出とは全く異なるとの認識を有していた。

鳴和病院の職員の組合活動目的の外出についての取扱いについては以上のとおりであって、補助参加人の争議行為予告通知のための外出については、鳴和病院に予めその旨を明記した外出願を提出して許可を得た上で外出した旨の主張は、これを認めるに足りる証拠はない。

証人林木則夫は、担当職員が不在とか通知内容について担当職員から質問を受けることがある等のことから、争議行為予告通知を昼食休憩時間中に完了させることはできず、この手続を完了させるためには通常約一時間三〇分を要する旨証言し、丙七六号証もこのことを裏付けているが、これらは鳴和病院から県庁までの距離(《証拠略》によると、この距離は約四キロメートルであることが認められる。)等の点からみても、又、右掲記の証拠と対比してもにわかには信用することができない。

以上のとおりであるから、鳴和病院の林木及び高山に対する本件賃金カット措置は適法であるばかりか、林木及高山は鳴和病院に対し右賃金カット分の支払を求める何等の法的根拠はないということができ、また、鳴和病院は補助参加人との間で組合活動を理由とする外出に係る賃金の取扱いの変更について協議すべき義務の法的根拠もないということができる。

したがって、本件命令のうち、林木及び高山にそれぞれ賃金カット相当分の金員の支払いを命じた部分、組合活動を理由とする外出に係る賃金の取扱いについて補助参加人と協議すべき義務を命じた部分はいずれも違法というべきである。

六  結論

以上によれば、本件命令のうち、原告の再審査申立てを棄却した部分は違法であるからこれを取り消すとともに、主文第一項は適法であるから、その取消しを求める補助参加人の請求はこれを棄却することとする。

(裁判長裁判官 林 豊 裁判官 合田智子 裁判官 蓮井俊治)

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